愉快系

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岡田斗司夫さんの評価経済社会

岡田斗司夫さんの評価経済社会……めちゃくちゃ面白い!

今後の経済について予測本ですが、非常に読みやすい文章で、かつわかりやすい例えなのでスラスラ読めます。

とくにこの原発問題を経験した後に読むと、岡田さんの言わんとしていることがまさに実感できてしまいます。

ちなみに岡田斗司夫さんは『いつまでもデブと思うなよ』の著者です。

 

昨夜半分くらい読みましたが(面白すぎて寝られなくなった……)、前半のおもな主張は『科学は死んだ』ということ。

つまり「『科学がみんなを幸せにする』というのは幻想だとばれた=科学は死んだ」ということなのですが、いままさに、この原発問題で『科学主義』の化けの皮がベロリとはがれてしまいました。ものの見事に。科学として、いちばんやっちゃいかんはずだった放射能をまき散らしながらの終焉……という最悪の形で。

まさに象徴的事象です。大自然の猛威にヒトの科学が屈してしまったのですから。これで世界中のヒトは誰一人として『科学はみんなを幸せにする』とは信じられなくなってしまったわけです。

っていうかまぁ、もはや誰も『科学主義』なんて誰も信じてなかったと思いますが。言葉にできなかっただけで。内心わかっちゃいたけど見たくなかった、といったほうがいいでしょうか。

ちなみに原発問題とは、放射線量や健康被害が問題なのではなく、『絶対安全』と宣言してた原発から、いわんやクリーンエネルギーの代名詞までつけられた原発から、『放射能が漏れた』という事実、そのものが問題です。なぜなら、いままでのように『見て見ぬふり』ができなくなったので。そもそも、"ただちに"健康被害が出始めたら『問題』なのではなく『終了』ですし。

この原発問題で、価値観の変容が一気に加速するのでしょうねー。

 

何かを盲目的に信じることは、それなりにメリットもあるわけで、現在がつらくても明るい未来を信じられればがんばれるわけです。っていうか、明るい未来を信じられるだけで、現在の状況はどうであろうとも、楽しい。宝くじを買ったら当選発表までが一番たのしいように。

でももぅ科学主義が崩壊したもんだから、明るい未来を信じられなくなって、みんな「どうすりゃいいのよ? ちっとも楽しくないんだけど」と彷徨ってる印象です。どんなに偉いシャチョーが声高に明るい未来を叫んでも信じられないのだから仕方がない。(すがる人は出ますが)

といっても、明日すぐ餓死する心配はない。じゃあそう考えてみると、いったいぼくたちは何におびえて生きてるんですかね?

ひとことでいうと『将来への不安』でしょうか? 今はなんとかなっても将来は大変になる……という漠然とした不安。でもそれでも将来餓死するというイメージはわかない。だから『漠然とした不安』。漠然としているから不安なわけで(^^;

 

とにもかくにも『科学主義』はこの原発問題であっけなく幕を閉じて、これからは新しい価値観によって世の中動いていくそうです。それが岡田さんがいうところの『評価経済社会』。

じゃあ「評価経済社会ってなんなのよ?」というと……

それはこれから読み解きます(^^;

 

ちなみに、とても印象的だったセンテンスをちょっと引用。

「ちゃんと学校を卒業すればあこがれの都会で働ける。まじめに勉強しなければ田舎で百姓だぞ」と言われれば、一時代前、近代の若者ならみんな、いやいやでも学校に行きました。

が、現代は違います。

そんなウソは、バレバレなのです。ちゃんと学校に行っても、あとで何もいいことがないことをみんな、知っています。

(『評価経済社会』P.144より引用)

これは、まさに高校受験の時に味わいましたねー。

ぼくはもともと、暗記力が非常に乏しい人間でして、お前は呆けた老人か!?と思えるくらいに物覚えが悪いです。母が「最近ほんと物覚えが悪くなった」と嘆きますが、その状態は、ぼくは子供の頃からそうなのですから、きっと歳を取ってもそういう悩みは出ないでしょう(ToT)

が、幼少時より現在に至るまで自分がバカだとは思っていない(^^;のがなんだかなぁって感じですが、ともかく暗記力が悪すぎるということは、現状の教育制度ではかなり不利です。

なもんで中学2年生時点で偏差値は40台。真っ青になった両親は、ぼくを塾へと強制連行するも、その塾にさえ入れない始末。なんと当時は『入塾テスト』なんてあったんです。成績が悪いから塾で補強するのに、その塾にすら入れないと。この子供が少なくなった今から振り返ると塾関係者は垂涎ものの環境だったことでしょう。

それでも、誰でも入れてくれる塾に無理矢理入れられて、そこの先生が、もぅあり得ないほど熱血教師だったもので、その先生に感化されて熱心に勉強するようになりました。が、やっぱり英単語とか歴史とかは覚えられないので、覚えなくても答えが出せる国語や数学で点を稼ぐ作戦に打って出ました。

しかし、2科目だけでは暗記科目3つを補填できないので、選択肢は必然的に3科目受験の私立のみということになります。国語・数学で点を稼ぎ、不足する英語を補填する作戦ですね。

でまぁ、死にものぐるいで勉強したわけです。

おかげで2年間で偏差値が65まで上がりましたよ。相当無理矢理に。

それもこれも「高校に入りさえすれば、いろいろすばらしいことが待ってるはずだ!」という思い込みの力だったんですよねー。

で、念願かなって地元ではそこそこの高校に受かって、入学まではご近所様へも鼻高々だったわけです。

受験が終わって入学まで、その2ヶ月間はとても健やかな日々を過ごしましたねー。

そう、入学までは。

さて実際に入学してみると。

あれだけ恋い焦がれてた高校生活は、ぶっちゃけ強制収容所だったわけです。刑務所デスヨ刑務所。

2年もがんばって、心晴れやかなハッピータイムたったの2ヶ月だった、というオチ。

しかもデスヨ。もし、人生やり直せるなら何をやり直したいってアナタ、高校生活をやり直したいとかこの歳になっても考える始末デスヨ。大学生活もフリーター生活もニート生活も、あの辺は自業自得なのでやむを得ません。この癖のある性格はいかんともしがたいので、やり直しても同じ轍を踏むことでしょうぼくのことだから。

しかし。

高校生活だけはやり直したい。がんばったから"こそ"やり直したい。

つまり、なんで男子校なんかに入ったんだか!!!(やっぱりそれかいな)

だって、ニート生活は選択の余地がなかったけど、進学先は選択の余地がたくさんあったからね。

 

──私事がとても長くなりましたが(^^;、とにもかくにも、『ちゃんと学校に行っても、あとで何もいいことがないことをみんな、知っています』という岡田さんの台詞には、もぅ、むちゃくちゃ頷けるのです。実際に、死にものぐるいでがんばってもいいことなかったんだから。

そして当然その後、26歳くらいまで10年間延々と腐り続けて低迷期が続くわけです。あの高校生活は、今のぼくのものの考え方にも影響を与えまくってますねぇ。だからいまでもこんな、夢見がちにプラプラしてるわけで。

 

翻って現在、ぼくは中学だったか高校だったかに思い描いていた生活を実現していると思います。当時から自宅で一人で仕事したいと思ってた引きこもり気質だったので。

まぁ仕事はちょいと違いますけど。昔はそんな状態で仕事できる職種は、作家くらいしかなかったけど、今ではいろんな仕事をSOHOベースで行うことが可能になりました。

ならいま幸せでしょ?といわれると、……まぁけっこう幸せかもしれませんけど(^^;、当時思い描いていたような『恋い焦がれるほどのバラ色生活(死語)』ではないわけです。今はよくても先々の漠然とした不安はやっぱりぬぐえない。

そうなってくると、何を信じて進めばいいのか、どこに向かって歩けばいいのか、いまいちよく分からなくなってきます。そして行動も鈍化してきます。

 

ではどうすればいいのかというと、実現可能かどうかはともかく、信じられる明るい未来……というよりも、信じられる『楽しい未来』のヴィジョンを描ければいいわけです。ぶっちゃけてしまえば、うまく騙されればいいわけです。

 

なもんで最近、未来志向の書籍をけっこう読んでたんですが。『評価経済社会』は、この世の中の現象をどんぴしゃりで言語化してくれてるように思います。

 

ということで、続きは今夜よもっと。